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対馬の山の概要

 

神々と生き物たちの山々

 対馬は島土の89%を山地が占めており、山岳崇拝の聖地として立入りや樹木の伐採が禁じられた原生林が多く存在しています。特に白嶽は対馬を代表する霊峰であり、病の平癒や出征した家族の無事を祈って「願掛け」のために登られるなど、特別の崇敬を受けていました。

 信仰によって守られてきた原生林は、ツシマヤマネコなどの貴重な動植物の生息地となり、「白嶽」は大陸系植物と日本系植物の混生により、「御岳」は貴重な鳥類の繁殖地として、「龍良山」は極めて自然度の高い照葉樹林として、それぞれ国の天然記念物に指定されています。

 対馬の地質の多くは、海底で形成された堆積岩(対州層群)ですが、御岳の一部には玄武岩が、城山と白嶽には石英斑岩が露出しており、有明山や龍良山は熱変成作用を受けたホルンフェルス帯の一部であり、地質の面でもそれぞれが個性をもっています。対馬の山岳には固有の自然と歴史が刻まれており、登山者の興味に応じて、また季節により四季おりおりの多様性に満ちた表情を見せてくれるのです。

 

国境の島の歴史が刻まれた山々

 対馬の歴史は古く、魏志倭人伝に初出し、古事記でも本州や九州とならぶ重要な「大八島国」のひとつとして描かれています。対馬の山々には、国境の島の特異な歴史が刻まれてきました。

 「金田城跡」(城山)は、唐・新羅の連合軍と大和朝廷が朝鮮半島西岸で戦った「白村江の戦い」後の667 年に築かれた古代山城で、国の特別史跡に指定されています。城山・千俵蒔山などには防人と烽火台が配置され、水平線の彼方の異国を睨み続けていました。防人の歌および対馬の峰「有明山」を描いた歌が、万葉集に記されています。

 「清水山城跡」(清水山)は、豊臣秀吉の朝鮮出兵時に築かれた駅城で、16 世紀末、10 万を超える軍勢がこの海を越えて朝鮮半島へと渡りました。対馬の山々は、激動の時代の出来事を今も静かに語りかけているのです。

 

国防の拠点となった山々

 幕末、植民地獲得競争を繰り広げる欧米列強、特にイギリスとロシアは、対馬に目をつけました。
 対馬の中央に広がる天然の良港・浅茅湾(あそうわん)は、軍港としても利用できる軍事・交通の要衝だったのです。

 対馬海峡と浅茅湾の重要性を熟知していた明治政府は、東京湾要塞に続いて、日本で2番目に対馬要塞の建造に着手しました。明治から昭和にかけて、見晴らしのよい山頂近くや高台に31もの砲台跡が構築され、対馬は全島が要塞と化したのです。

 

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