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対馬について

位置・面積

 九州と朝鮮半島の間に浮かぶ対馬(つしま)は、南北82km、東西18km、面積はおよそ709平方km、東京23区や琵琶湖よりも大きな島で、北方領土と沖縄本島を除けば、佐渡島・奄美大島に次いで、島としては3番目の面積になります。
 長崎県に属し、経済・交通機関は福岡との結びつきが強いのですが、韓国まで約50kmに位置し、「国境の島」と呼ばれています。
 2004年に旧6町が合併して長崎県対馬市(一島一市)になりました。


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森林と浅茅湾(あそうわん)


(写真: 浅茅湾空撮)


 島の東西を温暖な対馬海流が流れ、島土の約89%が山地であり、各地に原生林が残されています。
 島の中央には、複雑な海岸線と島々で構成されるリアス式海岸・浅茅湾が広がり、海岸線の総延長は915kmに及びます。
 地質は大部分が堆積岩で、表土は薄く、ごつごつとした岩肌が海に沈みこむ荒々しい風景があちこちで見られます。

 

生き物たち


(写真: 国指定天然記念物・ツシマヤマネコ)

 

 数万年前の最終氷期には海水面が低下し、対馬は九州本土と陸続きになり、また朝鮮半島・大陸とも細い海峡を隔てて接していたと考えられています。
 その後の温暖化により対馬は再び孤島となり、ツシマヤマネコ、アキマドボタル、タンナチョウセンヤマツツジなどの大陸系動植物が分布する一方、サル・クマ・キツネ・タヌキ・ウサギ・リスといった本土の普通種が1匹も生息しないなど、独特の生態系が築かれています。
 その特異な生態系により、白嶽などの山岳、鰐浦ヒトツバタゴ自生地などが国の天然記念物に指定されており、また島の多くの部分が壱岐対馬国定公園に指定されています。

 

歴史

 対馬がはじめて歴史書に登場するのは3世紀の中国の歴史書、いわゆる「魏志倭人伝」です。
 大陸と日本列島を結ぶ海中に浮かぶ対馬は、人・文物の往来にきわめて重要な役割を果たし、古事記・日本書記・万葉集などの古典にもたびたび登場します。
 また、元寇、文禄慶長の役、日露戦争など国家間の攻防・緊張にもさらされ続け、その一方で、江戸時代には対朝鮮外交を幕府から一任されるなど、独自の外交機能を発揮しました。
 対馬の歴史は、日本という国の誕生とその成長にも深く関わり、日本の外交史そのものであるといっても過言ではありません。
 対馬の歴史を知ることは、日本を知ることなのです。

 

これからの対馬

 現在、過疎・高齢化(およびそれによる地域生活・伝統文化の途絶)、磯焼け(海底の砂漠化)、自然環境の変化によるツシマヤマネコの絶滅の危機、農林業や自然植生への獣害の拡大、大量消費社会の限界などの厳しい現実が迫っています。

 持続可能な地域社会を構築するための取り組みはますます重要になっていきますが、その方法の一つとして、対馬の個性的な自然と悠久の歴史を活かしたエコツーリズムや、経済振興にも重点を置いたアドベンチャーツーリズムが注目を集めています。

 本サイトで紹介している情報の多くは管理人エヌが個人的に収集したものですが、インターネットを活用すれば個人が全世界に向けて情報を発信することもが可能であり、いずれこの島の観光素材として整備・活用していきたいと願っています。

 

 

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